歴史と変革
大正2年「大般若経六百巻」奉納時の様子。
能美・江田島・倉橋各島をあげて、百数十頭の牛馬が出場し、柿浦港から運んできました。(右奥:旧寳持寺伽藍)

 

能美島全島祈願寺としてのあゆみ(歴史と変遷)

寳持寺の起源

平安時代初頭の大同年中(806~810年頃)に真言密宗道場として創建された「嶺雲山福納寺〈れいうんざん ふくのうじ〉」に始まります。
寛治年中(1087~1095頃)に能美島全島にあった真言密宗十八ヶ寺を福納寺に合併し、能美島の祈願所とされました。
その後、鎌倉・室町・安土桃山時代には戦乱により消息が定かでない時期が続きます。

寳持寺の建立へ

江戸時代に入った寛永5年(1628年)、当時の能美島領主 山野井重久〈やまのいしげひさ〉公は島民からの強い要望に応え、廿日市市の洞雲寺住職 骨岫玄的禅師〈こっしゅうげんてきぜんじ〉を開山に請じ、曹洞宗寺院として再興します。
この時、延命地蔵菩薩を本尊とし、寺号を「寳持寺」と改めて、能美島全島の祈願所としました。

能美島全島祈願寺としての島民とのつながり

以降、干ばつの時に陀峯山〈だぼうざん〉に登って行われる雨乞い祈願や、大災害で亡くなった人々の供養など、いわば島をあげての公式行事は当寺が執り行い、島民から宗派を超えて崇敬されてきました。

寳持寺災害を経て復興へ

しかし、平成11年に集中豪雨災害による土砂崩れで伽藍のほぼ全てが崩壊。そして現在に至るも、昔と変わることなく、能美島全島祈願寺として皆様の平安と繁栄を祈り法務を勤めると共に、後世に法燈を繋げるべく復興を進めています。

関心のある方は「復興のあゆみ」をご覧ください。

 


寳持寺の宗派

寳持寺の宗派は曹洞宗です。
曹洞宗は「一仏両祖〈いちぶつりょうそ〉」を本尊とします。一仏両祖とは、お釈迦さまを本師と仰ぎ、また、その教えを正しく日本に伝えた高祖 道元禅師〈どうげんぜんじ〉と、その教えを全国に広めて興隆された太祖 瑩山禅師〈けいざんぜんじ〉を「両祖大師〈りょうそだいし〉」と申し上げ、宗門の父母としてその教えを仰ぎます。

一仏両祖の絵

中央はお釈迦様。右手前は道元禅師。左手前は瑩山禅師。