歴史と変革
大正2年「大般若経六百巻」奉納時の写真(右奥:旧寳持寺伽藍)

 

能美島全島祈願寺としてのあゆみ

寳持寺の起源

平安時代初頭、大同年中(806~810年頃)

寳持寺の起源となる『嶺雲山 福納寺〈れいうんざん ふくのうじ〉』が厳島存光坊寂如阿闍梨〈いつくしまぞんこうぼうじゃくにょあじゃり〉によって密宗(真言宗)の道場として創建されます。
※参考文献「大柿町誌」但し、創建年代には諸説があります。

寛治年中(1087~1095年頃)

兵乱の折に、能美島全島の密宗末流十八ヶ寺を福納寺に合併し能美島の祈願所としたとされています。

鎌倉・室町・安土桃山の各時代(1185~1615年頃)

激しく動く戦乱の時代に堂宇伽藍を焼失し、その後江戸時代に至る約五百年の間、福納寺の消息は明らかでありません。

寳持寺建立へ

寛永5年(1628年頃)

江戸時代に入り、戦乱の世も治まり、民心もようやく安定しました。当時、能美島領主であった山野井重久〈やまのいしげひさ〉公が、島民の強い要望に応え、廿日市市佐方の洞雲寺住職 骨岫玄的禅師〈こっしゅうげんてきぜんじ〉を請じて開山(初代住職)とし、延命地蔵菩薩〈えんめいじぞうぼさつ〉を本尊とし、曹洞宗(禅宗)寺院として再興します。
その時、寺号を「嶺雲山 寳持寺〈れいうんざん ほうじじ〉」と改め、能美島全島の祈願所としました。
 

能美島全島祈願寺としての島民とのつながり

以降、再び寳持寺は能美島全島祈願寺として、宗派に関係なく島民全体から崇敬され、信仰をよせられてきました。
特に干ばつの時に陀峯山に登って行われる雨乞いや、大災害時に亡くなった人々の供養をするなど、いわば島をあげての公式行事は当寺院が執り行い、島に住む人々の暮らしの中で大切なものとされていました。
大正2年(1913年)に大般若経六百巻〈だいはんにゃきょうろっぴゃくかん〉(鎮護国家・転災成福・災害除去・病気平癒・五穀豊穣・商売繁盛を祈願するお経)を奉納した際には、各宗僧侶多数の随喜を受け、能美島・江田島・倉橋島各島から百数十頭の牛馬が出場し、柿浦港から寳持寺まで運んできたといわれます。
 

寳持寺災害を経て復興へ

その後、社会が大きく変化してもなお、古拙寺院として宗派を超えて崇敬されてきた当寺院ですが、平成11年6月29日の大雨による土砂災害により本堂をはじめとする伽藍のほとんどを失ってしまいます。
しかし平成24年5月に本堂を移転再建し、当寺院の行事の中で昔から特に大切にされてきた「お釈迦様降誕会法要(花まつり)」時に、多くの参拝者の見守るなか本堂落慶式を厳修しました。
現在も「能美島全島祈願寺」として、法務を遂行しながら、坐禅のできるお寺として復興を進めています。